アナグラムはなぜ挙手制を採用しているのかの全貌

アナグラムはなぜ挙手制を採用しているのかの全貌
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2019年は社内社外問わず、さまざまな取り組みに関わってきました。

その中で僕の視座を格段に引き上げてくれたのが、多くの企業や団体、研究者から選抜された組織論の第一人者たちによる、とある組織開発のプロジェクトです。アナグラムを含む、珍しい組織・意思決定の仕組みを持つ企業の代表者などを中心に構成されたそのプロジェクトは、参加するたびに脳みそに汗をかき、数カ月に渡り大きな刺激を与えてくれました。

彼らは世界中の組織の形を過去数百年に遡り現在も研究し続けているのですが、ありがたいことにアナグラムの生態系にも非常に興味を持ってくれているんですね。

その中で他に類を見ないという制度が弊社の採用している「評価制度」と「挙手制」なんだそうです。評価制度に関しては下記の記事で具体的に書き出していますし、少し前の記事ですが、現在も多少の進化はあれどうまく機能していると思います。今回は挙手制について書いてみます。

参考:アナグラムの一風変わった評価制度のすべて

挙手制とは?

  • 自分がどんな仕事を受けるのか?
  • 自分がどんな人をマネジメントしたいのか

この2つに関して、アナグラムでは原則的に挙手制をとっています。つまり、上から押し付けられる仕事もマネジメントも基本的には無く、やりたい仕事は自分で手を挙げ、マネジメントとして立候補したい場合も自身で面接に入り、採用を自分自身で手掛けるということです。

手が上がらない仕事は受けず、採用も見送ります。

なぜ挙手制なのか?

「自分事化しろ!」「経営者目線を持て!」という経営者やマネジメント層は多いです。何を隠そう、過去の僕もそうでした。でも、この議論は大変傲慢だったなと切に思いますし、今の僕はそれに非常に懐疑的です。

なぜなら、そもそも自分の事ではないものを自分の事のように対応するのはかなり不可能に近いですし、経営者じゃない人が経営者の目線を手に入れるのはほとんどのケースで無理だと思うからです。

人が何かを体得し、悟る時、必要なのは臨場感だと言われますが、その立場にならずして臨場感を醸成し、同じ目線を手に入れるのは一部の感受性豊かな特別な人、つまり稀有な存在な人を除いて不可能に近い。

であるとするならば、可能な限りやるべき仕事を自分事化できる仕組みが必要なんじゃないか?と考えたんです。そんな時、星野リゾートの星野佳路氏の言葉に出会いました。

明確な出典を失念してしまったのですが、確かどこかのセミナーかカンファレンスでの質問に対しての答えで、聞いた当初強烈に印象が残っているのではっきりと覚えています。星野リゾートの施設でのアクティビティの立案は原則その施設のメンバーに意思決定させると言います。それで失敗はしないのか?という質問に対し、星野佳路氏はこう答えます。

自分で決めたことで失敗したら、自分自身で立ち上がれる

頭をガツーンと殴られた気分でした。これ、非常に身に覚えがあります。

これ以降、弊社では仕事でも採用でもそれに関わるメンバーによる、原則挙手制という形を取っています。この制度はチャットの履歴を見る限り2015年には実行されていましたね。組織論において挙手制自体はもしかしたらベストプラクティスではないかもしれませんし、生存バイアスが働いてる可能性だって微塵も否定はしません。ただ、今のところこれよりも上手に臨場感を醸成できる術を僕は知りません。

所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる

最近になり、これに基づくエビデンスが発表されたので載せておきます。


図:主観的幸福感を決定する要因の重要度(標準化係数)
注)学歴は説明変数として統計的に有意ではない。

神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授は、国内2万人に対するアンケート調査の結果、所得、学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えていることを明らかにしました。

参考:所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査

人が幸福度を感じるのは健康、人間関係に次いで、所得や学歴よりも自身による選択、つまり、自己決定なのだそうです。

なにがしかで身に覚えがありませんか?進路を決めたとき、就職先を決めたとき、大切な人との離別を決めたときなど、大小の違いはあれど、人生にはさまざまな決断のタイミングがあります。どんな選択肢を選んだにせよ、自己決定したものであれば後悔は少ないはずです。人の選択肢を優先した場合、前者とは異なり、他人のせいになって後悔していませんか?

ジャン=ポール・サルトルの話

さらに、フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルの話にもこれに関する記述があります。

自由であるということは、社会や組織が望ましいと考えるものを手に入れることではなく、選択するということを自分自身で決定することだ

参考:武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

「社会や組織が望ましいと考えるもの」というのはお金や地位のことでしょうか。そんなことよりも、「自分自身で決定すること」こそが自由なのだと言っているのでしょう。

それで売上はあがるのか?成長できるのか?

どんなに偉そうなことを言っても、どんなに清廉な思考で取り組んでいるとしても、組織としての至上命題である成長を犠牲にしては画餅であり、机上の空論に過ぎません。

勿論、我々だって「この仕事は断らずに受けてほしいなぁ」といったものはいくつもあります。でもそれは上にあげた自己決定を捨ててしまう行為になってしまい、自分事化することから遠ざかってしまいます。こういったことも含め、さまざまな個所で質問いただきますが、今のところ弊害よりも良い傾向の方が多く、順調に成長中です。

まとめ

「多様性を認めろ」という意見はその時点で画一的であり既に矛盾している、という話同様に、挙手制を導入することによってすべての組織の問題を解決するとは微塵も思っていません。

悪とは自分で考えるのをやめてしまった凡庸な人が、システムを無批判に受け入れること

参考:武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

こういったのは、ドイツ出身の哲学者、思想家であるハンナ・アーレントです。不確実性の高い昨今のような時代こそ、彼女の言うようにそれまでの制度やあり方を常に疑い、より良い仕組みを時代に合わせて提供出来るように、サステナブルに行きたいではないですか。

我々が取った挙手制という制度は、その中の一つの手段に過ぎません。

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