アナグラムのプロダクトは「人」。ともに倍速で次のステージへ

アナグラムのプロダクトは「人」。ともに倍速で次のステージへ
この記事は最終更新日から約4年が経過しています。

先日、代表がこんな記事を書きました。

「離職に向き合う」、なかなかショッキングなタイトルです。ただ、読んでいただくとわかりますがこれは社員の退職にともなう欠員補充というネガティブなものではなく、今後の未来を共に創っていきたい、そのためにわれわれが何をどう考えているのかを知っていただき、もしその考えに共感してもらえるのであればぜひ一度お会いしませんか、というポジティブな願いですので、どうかタイトルだけで済まさずに中身も読んでいただけるとうれしいです。

参考:離職に向き合う

この記事↑に採用についての想いはすべて詰まっていますし、アナグラムがどんな会社で、どういった職種で募集しているのかについては採用情報ページにくわしく書いてあります。ぜひ一度ご覧ください。

…というわけで、採用についてこれ以上何かを付け加える必要はないのですが、一つ気になっているのは、上記の記事中に

採用基準は10年後に1対1で食事に行きたいかどうか
そういった思想をマネジメントサイド全員が持ち合わせている

 
と書いてあることです。なるほどなるほど。

そうなると、私もマネジメントの末席を汚す者として、アナグラムという小さな運用型広告の代理店がどのような考えで人材採用というものを捉えているのか、自分なりに踏みこんで書いたほうがいいのかな?と思いはじめたので、この記事を書いています。

以下、少しだけお付き合いください。

原価は圧縮するもの

アナグラムが生業としている運用型広告では、ほとんどの場合でインプレッションの収益性と広告の品質を基準にしたオークションモデルが採用されています。ゆえに、広告の掲載およびクリック等の成果は基本的には保証されていません。

そうなると、2000年代以降の広告代理店に代表されるような、売上における運用型広告の比率が高い組織であればあるほど、営業やクロージングのような Pre-Sales よりも、広告の制作、設計、入稿、入札、分析、運用、最適化などの Post-Sales の仕事の比重が非常に高くなります。

というか、高くしないと生き残れません。

運用型広告の主要プラットフォームはセルフサービスが可能なため、代理する側の Post-Sales が弱いと競争力を失う(というか存在意義が乏しい)ため、ビジネスの継続が難しくなるからです。

結果的に、運用が発生する組織では、継続的な採用やトレーニング、ツールやシステムの整備など、Post-Sales の規模と品質を担保するための管理コストが運用型以前のビジネスモデルよりも積み上がりやすい構造になります。
(そして、広告の大半が運用型になった現在では Pre/Post を分ける意味すらなくなっています)

広告媒体費を収益の源泉にしているビジネスモデルの場合、それに直接従事する人件費等の労務費は売上原価にあたるため、2000年代前半に運用型広告が登場して以来、多くの広告代理店はこの原価を圧縮し粗利率を確保する目的で国内外への分業・オフショアやM&A、運用に関わるいずれかの業務を専用システムで代替する対策(つまり販管費化)を図ってきました。

コストではなく投資

一方で、繰り返しですが運用型広告とは全体設計から詳細設計、分析から再調整(いわゆる「運用」)を繰り返していく Post-Sales こそ本番であり、ビジネスの醍醐味が詰まっています。

この運用の巧拙によってキャンペーンの成果は大幅に変化します。過去には頻繁に金融のメタファーで語られていたように、運用型広告は従事者のスキルやコミットメントによって成果がいかようにも変わるビジネスであるということは広く認知されています。

単なる配信管理として広告運用を捉えるのであれば、原価である人件費は圧縮するに越したことはありません。ですが、運用型広告の登場から多くの歳月が経った現在、運用次第で成果が大幅に変化することが広く知れ渡っており、その高い成果の再現性こそが競争力であるとするならば、運用に関わる費用は単なるコストではなくむしろ投資として見なされるべき性質の支出であるはずです。

投資を怠る企業に輝かしい未来が待っているはずがないので、ビジネスを継続するのであれば、運用には投資し続けないといけません。

だから、人こそがプロダクト

冒頭の代表の記事、最後のパラグラフにはこうあります。

アナグラムという会社は”人”自体がプロダクトと言える会社かもしれませんし、常にそうありたいと思ってます。

 
この記述は、理想論ではなくすでに現実の姿を映していると思います。投資の対象だからという言い方もできますが、何より自信をもってオススメできますので。

ちなみに、「”人”自体がプロダクト」という表現は、私がよく引用するOPERATIVEという会社の CEO である Lorne Brown が2014年に書いた「広告代理店にとって、広告運用者は配信システムではなく、製品そのものである」という記事とも完全に符号します。

参考:Agency Ad Ops Is A Product, Not A Delivery System – OPERATIVE

※この記事は個人的に大好きなので時間があればぜひ読んでみてください^^

OPERATIVEはパブリッシャー側の広告運用を請け負う企業なので厳密には Ad Ops の指す対象が違うのですが、構造としては同じです。運用型広告を扱う組織において、運用者や運用業務そのものに投資し、強化していくことは、企業や市場にお返しする費用対効果のみならず、取引規模の増大や息の長いパートナーシップ、それにともなった収益性の向上、媒体費にのみ左右されない収益モデルの確立など、企業にとって競争力の源泉となり得ると信じています。

だから、運用者、つまり一緒にはたらく”人”こそがもっとも大事なんです。

力のかぎり、走ろう。 ともに。

運用型広告が属する(デジタル)マーケティングの世界は、以前からは考えられないくらいに加速度的に複雑さが増しています。以前「広告アカウントの肥大化について」という記事にも書きましたが、広告アカウントの外側(≒現実世界)では、データは日々急速に膨張していますので、広告プラットフォームもそれに対応するように、これまで大胆な変化を繰り返してきました。

その変化は運用者の業務内容だけでなく、必要な知識や知恵のアップデートを迫るものです。数年前の常識がまったく通用しない、そんな急激な変化の中でわれわれは常に仕事をしています。

ここで唐突に小説の話をしますけど、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」では、赤の女王がアリスに対して以下のように語ります。

いいかい。ここでは力の限り走らないといけないんだよ、同じ場所にとどまるためにはね。
”Now, here, you See, It takes all the running you can do, to keep in the same place.”

 
このセリフは、のちに「赤の女王仮説(Red Queen Hypothesis)」として採用されたことで有名になりました。

ある生物種を取り巻く環境は、その環境の構成員である他種の進化的変化などによってたえず平均的には悪化しているため、その種も持続的に進化していかない限り絶滅してしまう、という学説を説明するのに、赤の女王のセリフがぴったりだったのでしょう。

運用型広告も、外的環境や競争環境がテクノロジーの進化にともなって急激に変化しています。同じ場所にとどまっていたつもりが実は大きく後退している、ということが小説の中のファンタジーではなく現実に起こっています。事実は小説よりも奇なり、なのかもしれません。

赤の女王に倣えば、われわれ運用者は、持続的な進化があってはじめてこの場に立っていられます。組織として運用に投資し、継続的な変化が求められるこれからの世界で、運用者もマネジメントもへったくれもありません。みんなで学びつづける必要があるでしょう。自分で書きながら青ざめてますが、めげずにがんばってまいりたいと思います。

ちなみに、赤の女王は続くセリフでこう言っています。

もし他のところへ行きたかったら、少なくとも倍の速さで走らないといけないよ!
”If you want to get somewhere else, you must run at least twice as fast as that!”

 
アナグラムは、できれば倍の速さで走って次のステージに行きたいなあと思っています。そのための準備はしてきたつもりです。

倍の速さというと外からはせわしなく見えるかもしれませんが、中に入ればきっと慣性の法則がはたらくのでそんなに速くは感じないはずです^^

というわけで、ぜひ一緒に走ってみませんか。ご連絡おまちしています!

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