半年ないし1年に一度、各会社で行われるであろう人事評価。
評価する側にとっては「どうしたら納得のいく評価になるのか?」と頭を悩ませるものかもしれません。
アナグラムにおいても、評価制度は試行錯誤の連続でした。
創業者の「俺基準」だった時代、100%定量的な評価を行う時代など…「アナグラムの一風変わった評価制度のすべて」というブログにもその変遷が記されています。
しかし、試行錯誤の末たどり着いた「なんとなくを統計化する」という評価制度は2018年度に設定されてから今に至るまで、マイナーチェンジはありつつも大きく形を変えずに継続されています。6年間にわたってこの評価制度が続いてきたということは、ある程度納得のいく制度になったということかもしれません。
そこで今回は、試行錯誤するなかで言語化された、人事評価や評価制度についての考え方をご紹介します。
人事評価とは
人事評価とは、一定期間の働きを振り返り、給与に反映するものです。
どうしても機械的に「半年」「1年」と期間を区切ることになりがちなので、たとえメンバーが大きくジャンプする前にかがんでいるタイミングだったとしても、その評価期間内の働きで給与を決めざるを得ないという事情が出てきます。
また、「働き」というのは複雑なので、本来要素に分解できるものではありません。それを無理やり「評価制度」という要素に落とし込み、さらにシンプルな数字である「給与」に反映させる、という取り組みですから、そもそも完璧な評価というのは不可能だと考えておいた方がよいように思います。
ただ、完璧な評価はできないからあきらめるのか?と言われれば、そういう訳にもいきません。評価項目がなければ、社員はどう働いたらよいのかの指針がなくカオスな状態になってしまいます。
逆に、アナグラムが2017年に実施した100%定量評価のように、可能な限り完璧に近づけようと意気込んだガチガチな制度を作ったとしても、メンバーはその制度に縛られてしまうため「想定以上の働き」が生まれる余白がなくなります。
よって、完璧な評価はあきらめたうえで「ちょうどよい」と思える評価制度を設け、定期的にメンバーにフィードバックすることを目指していくべきではないでしょうか。
そして、この「ちょうどよさ」に会社の姿勢が表れると考えています。
ちょうどよい評価制度とは
もちろん、会社のフェーズや業務内容によって「ちょうどよさ」は変わってきます。
今回は、現時点のアナグラム(社員120名ほど)が考える「ちょうどよさ」を以下の項目で整理して考えます。
- 誰が評価するのか
- 何を評価するのか
- どのように評価するのか
誰が評価するのか
上司が部下の一挙手一投足を把握できるわけではありません。
なるべく多くの人の意見を聞いた方が、その人の評価を多面的に行えるというのは間違いないでしょう。
一方で、社員数が数十名を超えてくるフェーズになると、量と質の両面から全員の意見を聞くことは現実的ではなくなってくるのではないでしょうか。
量という視点では、たとえば100名規模の会社で全員分の評価を半年に1度記載してもらうことにすれば、膨大な時間がかかることが想定されます。1人の評価に10分使うとしたら、全員で10万分(1666時間)。ここまでのコストはかけにくいですよね。
さらに質の面でも問題が生じる場合があります。業務理解の抽象度が揃っていないと、本質的な評価を行いにくいからです。入社したばかりのメンバーが、社歴10年のマネジメントメンバーの評価をしてほしいと言われても困ってしまうかもしれません。
そのため、アナグラムではちょうどよい塩梅として「170度評価(仮)」を実施しています。これは、自分よりもレイヤーが上の人全員で評価を行うという制度です。
社員数が500名規模になってきたとしたら、170度評価でも時間がかかりすぎるため、あくまで現時点での最適解ですが、「量と質のバランスを取りながら、なるべく多くの人の意見を聞く」という基本スタンスは社員数にかかわらず活かしていけそうです。
何を評価するのか
「結果とプロセスどちらが大事か?」というのはよく議論されるところではありますが、これに対する回答は「どちらも大事」という曖昧なものにならざるを得ません。
まず、プロセスだけで正しく評価できるほど、人間は複雑さの認識に長けていないと考えています。
複雑さを出来る限り認識しようとするならば、上司は部下の行動を逐一観察し、管理し、記録していかねばなりません。しかし、そのようなコストをかけることは現実的ではありませんから、結果を見ることは真っ当です。
一方で、結果を評価するならばプロセスが無駄であるというのも暴論です。なぜなら、結果は嘘をつくことがありますが、プロセスは嘘をつかないからです。
プロセスの伴わない結果はあり得ます。
たとえば、スポーツのトーナメント戦で1回戦から前年の優勝校と当たって負けてしまったチームAと、弱小校と当たって勝ったチームBがあったとします。チームAはとてもよいトレーニングを毎日していて、チームBは週2日の練習でさえメンバーが集まらないような状態だったとしても、「勝利」という結果を得たのはチームBです。
しかし、プロセスがプロセスとして存在することは疑いようがありません。チームAが日々トレーニングを積んでいた事実は変わらないのです。
- プロセスだけで正しく評価できるほど、人間は複雑さの認識に長けていない
- 結果は嘘をつくことがあるが、プロセスは嘘をつかない
上記の2点をふまえると、結果とプロセスの両面からアプローチすることがちょうどよいように思います。
どのように評価するのか
では、結果とプロセスをどのように評価すべきなのでしょうか。
結果の評価
まず、結果を設定するうえで一番大事なことは、会社の本質的な目的(多くの場合ミッション・ビジョン・バリューなど)に沿う評価項目を設定することだと考えています。
あくまで「本質的な」目的からズレないように、そして項目同士が相反することがないようにすることが必要です。
たとえば、アナグラムには「最も信頼され、最も価値あるマーケティングカンパニー」というビジョンがありますが、結果として見ている定量項目はそれに沿うように設定されています。
- 顧客満足度:お客様の最も身近な相談役になれているか
- 新規案件数:信頼を得るだけの質と量を担保できているか
- 外部への情報発信数:積極的な情報発信をして業界全体のレベル向上に寄与できているか
また、アナグラムの評価制度は「売上ノルマがない」ということが特徴的ですが、このような制度になっている理由は「売上」という定量項目を設定してしまうと、顧客満足度と相反してしまう可能性があるからです。
売上で管理するのは簡単です。しかし、お客様に最も信頼される会社であるためには、売上ノルマを達成するために必要ではない予算をいただくといったことは起きてはいけません。
むしろお客様から予算増額を打診されたとしても、それが必要ではない局面においては「このタイミングは広告ではなくチラシなど他の媒体に予算を充てたほうがよいと思います」と提案できるコンサルタントであるべきと考えています。
もちろん、案件数も増えすぎてしまえば1つ1つのお客様への対応に十分時間をとることができず顧客満足度が下がってしまう可能性があるため、案件数に上限を設けています。
また、結果を見る項目は、細かく・複雑にしすぎないということも重要です。ちょうどよい評価制度にするためには、運用コストがあがったり、うまく定量化できない場合にいさぎよく切り捨ててプロセスで補うべきだと考えています。
プロセスの評価
プロセスの評価においては、結果だけでは判断できない項目や結果に反映されない事柄を補足するために、どのような視点で見るべきかのおおまかな指針を与える必要があります。
特に結果だけでは見えにくいものは以下の2つではないでしょうか。
- 結果(定量的な項目)に対する特記事項
- 過去からの定性的な成長度合い
①に関しては、数字の背景にある個別の事情や、質的な補足を行うイメージです。
たとえば、同じ「記事を3本書いた」という定量的な数字があった場合に、インターネット上にある情報を寄せ集めた記事を3本書くよりも、自らの経験に基づく見解を濃密に記した記事を3本書いた人をより評価したい、という場合はあるかと思います。
結果として数字を達成することはもちろん重要だが、プロセスも無視はできないという場合には、結果の項目はシンプルにしてプロセスで補うことが有効でしょう。
また②に関しては、結果だけでは分からない個人の成長にフォーカスしています。
- 出来なかったことが出来るようになったか
- 時間がかかっていたものを素早くできるようになったか
- 分からなかったものが分かるようになったか
といった、結果には数字として表れていなくてもプロセスとして評価できる項目を拾い上げることができるとよいでしょう。
評価する側・される側の心得
最後に、評価する側とされる側がどのように評価に向き合えばよいか、という点について考えていきます。
まず、評価とは完全なものにはなりえないが、その前提の上でベターを目指していく取り組みであると双方が認識することが第一です。
評価制度を作る側は、不確実性や曖昧さは許容し、本質的な目的に対して「なんとなく正しい」ものであるようにチューニングしていく姿勢が必要だと考えています。
評価制度を運用していくなかで、制度をハックするような動きが出てきたり、本質からズレているな、と感じる局面が出てくるかもしれません。そういう場合は、ハックした人を責めるのではなく、制度が悪いと認識すべきです。
アナグラムでも、大枠は2018年から変わらず運用していますが、評価タイミングごとに制度は見直され、細かく修正されています。会社のフェーズや状況によって、必要とされる評価制度は移りゆくものです。
また、もう1点忘れてはいけないこととして、人事評価とその人の人格・思想はむすびつくものではない、ということがあります。
あくまでその期間の働きを評価しているのであって、評価が悪かったからといって「あなたはダメな人だ」と言われているわけではありません。これはもちろん、評価する側も意識すべき事柄です。
働きを給与という数字に落とし込む、言ってしまえば乱暴な取り組みだからこそ、前提を共有し、リスペクトをもって臨むべきではないでしょうか。