「柔よく剛を制す 剛よく柔を断つ」ということわざ、ご存じでしょうか?老子の思想を基にした中国の書物『三略』に由来するこの一節は、柔軟性と強さの関係をよく言い表しています。
柔軟性が強さに勝る場面もあれば、その逆もしかり。それぞれの個性に優劣はないですから、大切なのは、必要に応じて2つのバランスを保つこととも言えますよね。
けれど、こう思う方もいるでしょう。「それって矛盾してない?結局どっちがいいの?」と。
どちらが優れていると一概に言えないのは、”正しさ”にも似ています。もっと踏み込んで解釈すると、この言葉は時に"正しさ"も状況や視点によって変わることを示唆しているのです。
仕事においても、あるジレンマに直面し、手元に持ち合わせた選択肢がどれも”最善”とはいえない場面がありますよね。そんなとき、「止揚(しよう、ドイツ語でアウフヘーベン)」というアプローチが役に立つかもしれません。この記事では知的労働をもっと楽しくするための「止揚」と、その具体的な活用法について紹介します。
目次
「止揚」とは矛盾やジレンマを包括的に受け入れ、克服するアプローチ
もともと哲学の用語である止揚は、「より高い段階へ進むために、現在の段階を否定しつつも、現在の段階の一部がより高い段階で保持されること」を指しています。「より高次元のアウトプット」と「それを見つけ出す試み」の総称とも言い換えられるでしょう。
ニュアンスはやや異なりますが、つまりは二つ(以上)の要素のいいとこどりです。
ある問題やジレンマに直面したとき、従来の思考パターンを超えて新しい視点で物事を見ることで、見かけ上の矛盾を調和させ、最適な解決策を見つけることができます。見晴らしのよい場所まで引いて全体を俯瞰するさまは、「視座」を上げることにも似ているかもしれません。
例えばアナグラムの一気通貫×チーム制。通常、「一気通貫(1人)」と「分業(チーム)」は対立するアプローチと見なされることがあります。
ですが分業にも一気通貫にも、それぞれ利点と課題がありますよね。一気通貫に孤独感を覚える時があるかもしれませんし、分業に物足りなさを感じるときがくるかもしれません。
そんなとき、止揚することで、両方の利点を活かし、新たな選択肢を生み出すことができます。選べなければ、新しく創るのです。
質と量、スピードと精度、成功と失敗、具体と抽象。片方だけでは十分と言えない組み合わせは、仕事に限らず人生において無限にありますよね。では、どんなときに止揚が役立つのか、パターンを3つに分けて考えてみましょう。
①第三の選択肢を見つけ出す
限られた時間のなかで、二つのタスクAとBを両立するのはときに難しく感じられます。どちらかを進めるとき、もう片方には手が付けられないからです。一方で、ある課題Aに集中していただけなのに、気づけば別の課題Bも同時にクリアされていたことはありませんか?
- 人に教えるつもりが、ノウハウの言語化や整理を通してかえって自分のレベルアップにつながった(マネジメントと自己成長)
- クライアントワークに没頭していたら、貢献に感謝してもらえたばかりか、ビジネスに詳しくなり、お金までもらえた(他者貢献と自己投資)
あることを達成する道のりが、知らぬ間に別のことに役立っていた。何かしら思い当たらないでしょうか。
止揚は、この一石二鳥ならぬ「一石数鳥」を意図的に作り出すことができます。AとBをそのまま両立するのでなく、同時に2つをカバーする第三の選択肢を見つけるのです。”手付かずの片方”が存在しない状態になるので、目の前のことに集中しやすくもなりますよね。
アナグラムの仕組みの多くはこの「一石数鳥」を元に設計されており、ブログもその一つです。社会への情報発信、社員のスキル向上、自社のマーケティング(広告主、採用)など、複数の役割を担っています。三方良しの精神を仕組みにも織り込んでいるのです。
第三の選択肢を見つけたいときは、ジレンマをいろんな角度から眺めてみます。すると「A」が「B」を叶える手段にアレンジできたり、「B」が「A」加速のトリガーになったりする糸口が見つかるかもしれません。
どちらかを達成したとき、もう片方も半ば自動的にクリアしているように設計できれば、もはやジレンマは解消されたも同然。「一石数鳥」の状況を用意したら、あとは石を一つ投げるだけです。
②片方の選択肢から障害物を取り除く
そもそもわたしたちはなぜ、両立に悩むのでしょうか。その理由はここにもジレンマを抱えるからだと筆者は考えます。両立が必要なほどに「どちらも重要で優先度が拮抗した状態」と「2つの要素を同時に成立させる難しさ」との挟み撃ちです。重要度に明らかな差があるようなら、あるいは簡単に並行できるものなら、最初から問題はありませんよね。
一方で、当初はすべて完了するのが難しく思えたTODOリストでも、あるタイミングで振り返ってみると、意外と残らずチェックできたことはありませんか?
それはきっと意識するしないに関わらず、任意の振り分けで時間を配分できているからです。いわば時間差での両立です。これによって「2つの要素を同時に成立させる難しさ」を緩和できています。
- 平日は仕事に集中して、休日は趣味に充てる
- 日中はチームやクライアントに関連する仕事を進め、夕方から個人的な作業に移る
- 今の段階では自力で進め、次のステップからは周囲に頼る
- 目標に向けて20代はキャリアを優先し、30代以降はプライベートの比重を高める
- まず自分のために働くことを通して、誰かのために働く余力や意義が増していく
例えば「ワークライフバランス」という言葉。この概念が社会に浸透しているのも、人生においてどちらも大切で両方あきらめなくてよいことは誰もが認めるところだからです。
あくまでバランスの問題であり、仕事に没頭すること=それ以外の時間をおろそかにすることでもなければ、余暇が充実すること=仕事に力を注げないことでもないですよね。
また、短い時間軸で見たときはシングルタスク状態でも、積み重なれば多くのことを達成できているものです。マルチタスクの状態ですら一つに集中する瞬間はあるので、マルチタスク=対象を瞬時に切り替えるシングルタスクとも捉えられますよね。
段階や期間ごとに視点を行き来しながら、”そのときの最善”に近いと感じる選択肢を選び直して、優先順位を柔軟に変え続ければよいのです。
働き方一つとっても、状況やタイミングによって最適な選択は変わるもの。アナグラムでは個々の事情に対応する仕組みの一つとして、出社を推奨しつつもリモートワークを禁止していません。育児や介護など、ライフイベントを大切にしながら持続できる働き方を選んでもらいたいからです。
2つの要素がどちらも欠かせないものであっても片方に比重が偏ると、ともすれば二者択一を迫られた錯覚に陥りがちです。ですがどちらも犠牲にしないからこそ、互いに相乗効果を発揮する場面も出てくるものですよね。
両立が難しく見えるとき、それは見せかけの二者択一に惑わされているだけかもしれません。時間軸や段階・視点を分けて両立できれば、両方を選べるのです。
③どちらも活かす”ずる”をする
ここまでは矛盾やジレンマに立ち向かう手段として、積極的に決断し選び取る方法を紹介してきました。
ですが必ずしも「選ぶ」アクションがベストではない場合もあります。それは2つ(以上)の選択肢が、同じ目的のために存在するときです。達成に近づくためにも、手数が多いに越したことはありません。あえて選ばずそのまま共存させるのも手なのです。
例えばわからないことに直面したときや行き詰まりを感じたとき、次のアクションに迷って行動が遅くなることはありませんか?筆者はこのような心の動きにブレーキをかけられたことがあります。
- 経験のためにも、もう少し自分でがんばってみたい(質問する選択肢が浮かぶ前の段階)
- 質問したいけど、ちょっと訊きにくいなぁ(気遣いや見栄>仕事の進行や自分の成長)
- 頼りまくって進めた仕事、自分がしたっていえるのかな(自力と他力のジレンマ)
自力と他力のバランスに迷うことがあっても、どちらであれ目的を達成する手段に過ぎません。この場合の目的は仕事を前に進めることなので、たとえ質問によって相手の時間をもらうことになろうとも、停滞しかねなかった仕事が進みさえすれば全体にとってプラスになりますよね。
1人が知りえる範囲や処理できる業務には限界がありますから、どんな仕事も誰かの力を借りて成り立っています。責任を持って前進させられたなら、それは「自分の仕事」と胸を張ってよいはずです。
先に挙げたような固定観念にとらわれず、周囲に頼れるほど仕事は進みやすくなり、結果として成長も早まります。
これはアナグラム内でも共通認識です。そのため入社後の研修はもちろん、至るところで「質問する人ほど成長が早い」と耳にしますし、質問専用のチャンネルまで整備されています。
逆説的ですが、自分の限界を適切に認識したメンバーで構成されるからこそ、お互いに頼りあいながら組織として強くなれるのです。無知の知ですね。
多くの場合、戦術には替えが利きます。成果を出したいときこそ目の前の前提を壊し、目的に立ち返るのが有効です。
はじめに「止揚とは現段階の否定だ」と説明しましたが、その目的は矛盾やジレンマの克服だったはず。であれば手段は、矛盾をまるごと肯定して併せのむ”ずる”でもいいのです。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ということわざがあるように、頑なにならずバランスをとれる柔軟さには価値があり、変化への対応力は強さでもあります。
”タブー”は思うほど多くありません。自分にかけている呪いはないですか?
目の前の現実よりも、まず捉え方を変えてみる
紹介してきた方法は言うは易く行うは難しです。環境の制約があったり、他者の協力が得られなかったりと、現実的に自分でコントロールできない要素がハードルになるかもしれません。
筆者は止揚を「人生がときめく捉え方の魔法」だと感じていますが、正直なところ書いたようにいつも出来るかというとだいぶ怪しいです。ですが見え方や捉え方は、自分で変えられます。そう思ったほうが楽しいし、理想像が見えていなければ、現実をチューニングすることも難しいと考えています。
何より時間は巻き戻らず、物事には複利が効くので、望んだタイミングで先送りせず多くを経験できるに越したことはないですよね。
目の前のジレンマにふさわしい解決策が、3パターンのうちどれか一つだけに当てはまるとは限りません。2つを横断したり、間を取ったり、どれにも当てはまらなかったりすることもあるでしょう。
他者のアドバイスをふまえて考えをブラッシュアップする過程も一つの止揚と考えれば、わたしたちは息をするように止揚を繰り返し生きているともいえそうです。
決断の力を説く「何も捨てることができない人には何も変えることはできない」という言葉は、たしかに一つの真理です。ですが重要なのは、何かを捨てることよりも、自分の意思で選び、力を尽くして、その結果に責任を持つ覚悟のほうではないでしょうか。
それが「何も捨てない」選択であれば難易度はあがりますが、自分で選んだことは受け止められます。何かを捨てる選択を「捨てた」のは、他でもない自分なのだから。
この記事は、限られた資源の中でいかに欲張るかを書いたものです。アナグラムにはあらゆる可能性に閉じず、その中から自分で決められる環境があります。